春分の日の本当の意味は何?由来、起源は?分かりやすく解説!

春分の日ってどんな意味なのでしょうか?

このブログを読んで、春分の日の本当の意味や由来起源について知りましょう!

学校や会社での何気ない雑談で使ってくださいね(笑)

というわけで早速見ていきましょう。

 

春分の日とは?

《春分の日》とは、春彼岸の中日(ちゅうにち)にあたり、

国民の祝日に定められています。

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由来は、明治11年、太政官布告23号で定められた

「春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)」という祭日が始まりだそうです。

 

時代をえて昭和23年7月20日に「国民の祝日に関する法律」が制定され、

旧制の祭日であった春季皇霊祭は廃止となり

「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」

「自然を称え、将来のために努力する日」として「春分の日」という祝日になりました。

 

なんで春分の日は毎年変わるのか?

春分の日は、国民の休日ではありますが、

日にちが毎年変わるのは、「うるう年」と同じような原理が働いているからです。

 

春分の日は、地球の赤道を天に延長したものが、

黄道(太陽の通り道)と交わる春分点を太陽が通り過ぎる時間を含む日を指していて、

地球の公転は、365日と6時間かかるので、

毎年春分点を太陽が通り過ぎる時間がずれるのです。

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大晦日の由来・起源とは?小学生でも分かるように解説!

年の終わりにある大晦日の意味や由来ってなんなのでしょうか?

今回は、気になる「大晦日」について調べてきました。

 

そもそも大晦日とはなんでしょう?

元々月の30番目の日を“三十日(みそか)”と書きます。

それが月の最後に日を表す“晦日”と変化して最後の日を言います。

そのため毎月の最後に日は、すべて晦日です。

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その中で12月は1年の最後の日であるということより

他の月と区別することを目的として“大晦日”と言います。

また晦日は“つまごり”とも読みます。

昔旧暦を使っていたころ月と太陽の位置が近いので見ることができませんでした。

そのことから月が隠れて見えないという意味で“月隠(つきごもり)”と言いました。

それが“つきごもり”と変わっていきました。また旧暦を使っていたころは、

一日の終わりは、日没でした、

そのため231日大晦日に太陽が沈むと新しい年になっていました。

 

大晦日行事の除夜の鐘の意味って?

年初めに見る初夢は、元旦に見る夢を初夢と言います。

大晦日の行事としてまず思い浮かぶのは、除夜の鐘です。

大晦日の夜に人の煩悩の数である“108“の鐘を鳴らします。

本来であれば毎日108回の鐘を鳴らす必要がるようです。

 

しかし毎日108回鐘をつくのは大変なので、省略して8回鐘をついています。

また108回の鐘のうち107回は旧年中につきます。

最後の1回は煩悩に惑わされないことを願って年明けにつきます。

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ひな祭りの風習は日本だけ?起源は平安時代?

元々は上巳(じょうし)の節句→桃の節句→雛祭りとなったと言われており、

日本でひな祭りといわれている行事は、

3世紀前後の古代中国で行われていた風習に基づいているといわれてます。

 

目次

  1. ひな祭りの風習と起源
  2. 平安時代ではひな祭りとは呼ばなかった!

 

ひな祭りの風習と起源

中国では「季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすい」と考えられ

3月最初の巳の日=上巳(じょうみ)に水辺で禊(みそぎ)を行ったり、

盃を水に流して自分のところに流れ着くまでに詩歌を読む

「曲水の宴」を行ったりする風習がありました。

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これがやがて遣唐使により、日本に伝わったと考えられており、

「禊」の神事と結びついてると思われています。

当初は、天子(天皇のこと)をお祓いする為の儀式であったのが、

平安時代には宮中行事にと変化し、川のほとりに男女が集まり、

災厄を祓う「上巳の祓い」として「曲水の宴」を催したり、

草木や紙などで、かたどった人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、

川や海へ流す儀式が行われるようになり、

現在でも日本の各地で行われている「流し雛」は、この名残りといわれてます。

 
他にも上巳の祓いが行われた説としましては、

当時の中国の時代に「徐肇」という人に女の三つ子が生まれました。

三日後に三人とも死亡してしまい、人々はこれはきっと何かのたたりだと、

水浴をして忌み汚れを流し禊(みそぎ)を行いました。

この日がちょうど初の巳の日であったとも言われてます。

 

日本では、宮中の行事であった「上巳の祓い」が時とともに武家社会へと浸透し、

たがて室町時代の頃には日付が変わらないようにと3月3日と固定されました。

 

ただ、この頃はまだ「祓いの行事」でしたので人形を飾るなどはなかったそうです。

華やかな女性のお祭りとなったのは戦国の世が終わり平和になった

江戸時代からの事だそうで、徳川幕府によって「上巳の節句」と定められたのです。

 

もともと「上巳の節句」は男女の関係なく行われていたのですが、

「端午の節句」が男子の節句として行われるようになったのをきっかけに

女子の節句として定められるようになったそうです。

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